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セルフフォト

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    季節、折々の記念撮影、、。

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2018年6月23日 (土曜日)

ぼくの写真日記#1084、、と独り言、、

今月、長女の夫くんから知らせが、二つ、届いている。
一つは、庭の木に掛けた小鳥用の巣箱に、シジュウカラのツガイが先月営巣して産卵し、今月初めにヒナがかえり、、無事に巣立った事。
20180623_160825 (この巣箱、二年ほど前、夏休みの工作として孫君が作った手作りだ。玄関わきの立ち木に掛けて、ずっとそのまま雨ざらしになっていた。それが良かったのだろう。人の匂いが消え、木に同化したように朽ちかけていたところに、シジュウカラが居着いてくれた。 親鳥の鳴き声が、玄関まわりに心地良く響いていたそうだ。 そして、5羽のヒナが生まれ、全員、無事に巣立った。)
                          もう一つは、四年ほど前、庭に植えるようにと、長女に渡した紫陽花の苗、、今年、初めて、花を咲かせたという知らせだ。
20180623_160713 (我が家の近所には、いろいろな品種の紫陽花が咲く。そんな中で、見慣れない花を咲かせる株を見つけ、花が終わった後、挿し木用に枝をもらい、10本以上根付かせ、半分を長女に渡した。庭に植えて、育ててくれていたようだったが、今年6月、初めて花を咲かせてくれた)
突然、長女が他界して、4ヶ月になろうとしている。 いまだに泣けず、涙も出ない。 心の底が冷たく凍ったままのように感じてきた。 そんな時、夫君からのこの知らせは、なぜか、長女からのメッセージに思えた。 『パパ、、何してるの! しっかりしてよ。。』 と言っているのだろう。。 ジワリ、心の底が、溶け始めたようだ。 ちなみに、僕が育てようとした苗は、全滅だった。

2018年6月10日 (日曜日)

今年の紫陽花・・続き

とは言っても、いつもと変わらず咲いている紫陽花も、、
3
同じ紫陽花でも品種によって、影響の受け方が違うのかも知れない。
2 紫陽花農園の方が、「紫陽花は面白いよ」と言っていたのはこういうことかも。。

今年の紫陽花、の??

薔薇に代わって、紫陽花の季節。近所を撮って回る。バス通りの路肩だったり、路地沿いだったり、、よそのお宅の庭先だったり、、。 で、今年、気になった事、、A01
単色ではなく、色の混ざっている株が目立つのだ、、。これは、なんの影響だろう。 以前、紫陽花専門農園の方にこんな事を聞いた、、<紫陽花は土壌は勿論、陽光・雨など自然環境の影響を受けやすい。何によって、どう変化するのか、人工的に見極めて定着させるのが紫陽花創りのポイント>なのだそうだ。 あるお宅で見つけた額紫陽花、、こんな話を聞くことができた。
Img_9050 庭先の紫陽花、この色が珍しくて、撮らせてもらったのだが、「元は白だった」そうだ。 別の場所で、白を見たことがあるが、この色は初めてだ。 とすると、今年はどんな影響を受けたのだろう、、当然、自然環境の中でという事、、。 

2018年4月22日 (日曜日)

母の事、、(再入院と退院と、、)

母は4月5日から入院している。 今回の病院は、国分寺駅から西武多摩湖線で最初の駅・一橋で下車、徒歩3分、一橋病院という。 診療所の紹介、、 褥瘡(ジョクソウ)の治療が目的だ。 床擦れのことだ。 寝たきりになった時、注意するようにと、医師をはじめ看護士さん、介護スタッフ、ケアマネからも、顔をあわせるたびに言われて来た。 油断すると、できやすく、治癒に手のかかる症状らしい。だから、圧迫されて、少しでも赤くなった皮膚を見つけると、ぬり薬を塗ってケアしていた。 それが出来てしまった。それも在宅でケアできる程度を越えて入院治療が必要、、と訪問医療の医師と皮膚科の専門医の協議の診断結果なのだ。 もっと早く気づいていれば、簡単に治せたのですよ、、と看護師さん言われ、心に刺さる。 でも、、まさか、、ここにできるなんて、思わなかったし、、。 すると、、身体中、何処にでもできるので、気をつけましょう、、と追い打ちだ。 確かに、十円玉ほどの大きさに土手ができて、中が膿んでいる。 膿を削り取るように洗い流し薬を塗る。これを、治るまで毎日繰り返す。皮膚が改善して再生して傷を塞げば治癒したことになるが、患者の体力・栄養状態によって、2ヶ月から3ヶ月かかるそうだ。 高齢の母は、それ以上にかかるかもしれないという。褥瘡とはそれ程侮れないのだ。
で、どこに出来たか、というと、、後頭部、、頭の後、、だ。 なぜ出来た、悔やんでも、出来てしまった以上、、注意不足だった、ということ、、 ここにもできるんだと、そう注意しているしかない。 足の指から頭まで、身体中、何処にでも、できると経験した事になる。 以後、不注意は許されない。。
入院後、4日目、担当医師に呼ばれ面談、、少しでも早く治癒し退院できるように、手術をするので同意してほしいとのことだった。 幹部の傷んだ皮膚を切除き、S字に切開して縫い合わせるのだそうだ。 抜糸まで1週間から10日、その後経過をみて、順調にいけば4月中に退院できるだろう、、とのことだ。 もちろん同意し、手術は10日に行われた。 経過は順調だと聞いている。
そして20日、ソーシャルワーカーから連絡をもらった。 退院に向けての準備、在宅での傷口ケアなど、今から相談していきたいということだった。 週明けの月曜日に、面談の時間を決めた。 医師からは、まだ、退院許可が出た訳ではないが、準備を進めることになった。

2018年4月21日 (土曜日)

母と僕の写真

脳梗塞で倒れ、以後、寝たきりになった母、、、
そんな母と二人で撮った写真が残っていた。 
初めての子、、父は、頑張って、写真館でとってもらったようだ。
A1 左は、裏に生後1ヶ月目の日付がメモしてある。右は3〜4ヶ月目だろうか。
母と二人で写っている写真は、この二枚以外、何も残っていない。

2018年4月20日 (金曜日)

独り言・月日の経過とともに、淋しさが、募る? #4

長女が突然行ってしまって、二ヶ月になろうとしている。 
ある人が、言った、、
「元気ないね。日が経つに従って、淋しさが、募ってるんじゃないの、、」と。 
いや、違う。 募ってない。 そうじゃなくて、、 あの日、あの時から、、
何も、変わらないんだ。 
心が、一瞬で凍ったまま、、 心に、でかい穴が開いたまま、、 
真っ暗に沈んで、、 何もかも、そのままなんだ。。  
以前のように、明るく軽やかな心に戻りたいと思う。 
でも、戻らない。 重くよどんだままなんだ。。  
募ってゆく。。変化しているなら、その方がいい。。 
どの方向へ、どう変わるのか、確かめられそうだから。 
でも、違うんだ。
あの瞬間から、泣けない、、涙が流れない、、心の底が、凍りついたままなんだ。。

2018年4月17日 (火曜日)

独り言・月日の経過とともに、淋しさが、募る? #3

3月5日(月)告別式、
予定時刻の2時間前に会場に着いた。 遺品テーブルが昨日よりも賑やかになっている。次女と三女、息子達が相談して、新たに並べたという。その中のいくつかは、棺に入れるのだそうだ。カラフルな寄せ書きが三つ。二つは友人達、一つは親族からの送る言葉だった。「パパ。後はパパだけ、、ここに一言書いて。」三女が寄せ書きの一つを持ってきた。 大きなハート型の二つ折り、カラフルに彩られている。きっと三女がデザインして作ったのだろう。叔父・叔母、姪・甥、母親、姉妹、夫君・息子達、の名前がある、、右の上、ハートの丸みの辺りにスペースが空けてあった。 天国へ持って行ってもらう送る言葉?! 何を書く?! しばらく考えて、ずっと気になっていた事を書いた。 長女が小学五年?の時の事。登校拒否を起こした。原因がわからず、悩み苦労した時だ。 <あの原因はパパだね。今、やっと、お前の気持ちが理解できる。苦労かけたな、、>と。 こんなことになる前、ゆっくり話したかったことだ。。
この日も、時間前から、たくさんの人が別れを惜しんでくれた。 友人知人の多くは、まるで僕の知らない人達だ。 疎遠になっている親戚にも会えた。 誰もが「早過ぎる、、」と嘆いてくれる。 僕より先に行くなんて、順番が違う。。そう答えた。
時が来て、長女は花に包まれた。 スナップ写真、愛用の小物、等、足元に溢れ、あの三つの寄せ書きが胸元に添えられた。 夫君・息子達・義理の兄弟達・僕も加わり、支えて出棺。 義理の父、義理の母、の時よりも重かった。 火葬場へと向かう。 遺影と名が飾られた小さな祭壇のあるボイラーに棺を収め、合掌、、点火された。 一人離れ、敷居の中に入らない女性がいた。長女の叔母にあたる人だが年が近く、、子供の頃から長女を妹のように可愛がってくれた。長女もお姉ちゃんと呼んで、慕っていた。 控え室への途中で、なぜ入らないの?とたずねた。 「私、クリスチャンだから。入れないの。」と答えた。 えっ!クリスチャン? いつから、、? はじめて知った。そんな戒律があるんだ。。 控え室で30分程談笑して後、、促されてボイラーの前に、遺骨を白壺に移す。 姪と一片の遺骨を箸で支え合いながら移した。真っ白だった。 火葬の後、精進落としは、長女が好んでいた蕎麦屋の二階座敷での会食となった。 母の介護を理由に、そこから家路についた。 いつしか細かい雨が降り出していた。
帰宅して、介護ベットに横になっている母に報告。 送って来たよ。びっくりする程大勢の見送りだった。 でもさぁ、、なんでだ。 92歳のあんたはここで寝てる。元気ではないけど、、生きてるよな。 あいつは、、あんたの孫は、やっとあんたの歳の半分だぞ。なのに、なんでだ。。 順番で言えば、あんたが先だろぉ。そして俺、、。二つも飛び越して行っちまった。。 まだ小二の子供もいるんだぞ。。 なんでだよぉ。。酷いな。。それでも、残ったものは、、、わかってるよ。。

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