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セルフフォト

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    季節、折々の記念撮影、、。

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2017年6月12日 (月曜日)

ぼくの写真日記#1081、、母の転院、胃瘻造設。

胃瘻造設のため、慈恵医大第三病院に、今日、母を転院させた。 造設の意思は、先月、病院に伝えていたのだが、転院先の手術日程などの都合もあって、この時期になった。 胃瘻の造設は、「在宅介護に決めた」という意思表示したことになる。 弟たちにも、娘たちにも、相談した。 そして決断した。 皆も、納得してくれた。
今日と明日、手術前の検査が色々あって、異常なければ、明後日・水曜日に施術される。
慈恵医大病院での医療は、初めて受ける。先の赤十字病院や北多摩病院とは、全く雰囲気が違う。
まず、人が多い。先月、家族代理診察に来た時、予約時刻を1時間以上も待たされた。 待合室に患者が溢れていて、まるで、順番が回ってこない。 結局、診察室の前で、2時間待った。 これが、大学病院という所なのだろう。 そして、もう一つ、大きな違い。 他二病院では入院セットと言って、パジャマ、オムツ、タオル等のレンタル制度があったが、ここでは無い。患者側が用意して持ち込まなければならない。 当然、衣類は洗濯して交換することになる。 一週間から二週間、ここで世話になる。

2017年5月 8日 (月曜日)

ぼくの写真日記 #1080、、母の転院、その後、

母が転院して3週間になった。 おととい・5月6日(土)、担当医・看護師・医学療法士・ソーシャルワーカーを交えて面談を受けた。 母の容態はこの3週間で改善し、心臓、肝臓、膵臓、共に検査の数値的には異常なく、安定していると告げられた。 転院当時は、ほぼ2時間おきに必要だったタンの吸引も必要なくなった、という。 毎日2時間ほど、しっかりした姿勢で車椅子に座っていられるそうだ。 僕が見舞った時は、ベットに横になっていたが、まぶたをしっかり開き、名を呼び顔を近づけると、見つめているように思えた。ただ僕を認識しているかどうかは、不確かだった。  面談の中心話題は、胃瘻についてだ。 食事、水分の飲み込めができないため、今は、鼻から胃へ管を通し栄養剤を点滴のように流し込んでいる。 これを胃ろうにしてはどうかという、医療側からの提案である。 胃瘻とは、腹から直接胃へ管を通し栄養剤を送り込む。 鼻からの経管栄養時よりも簡易で誤飲性の肺炎の心配もなくなるそうだ。 このため増設のための手術が必要となるが、これができる病院は限られるため、手術のため短期間、転院しなければならなくなる。 増設の意思表示をすると、そのための事前検査をするという。胃カメラで胃に異常なく増設が可能かの判断をするのだそうだ。その検査をを受けることにして、10日に決まった、同日に判断が出るので、翌11日に再び面談を受けることになった。 この日までに、胃ろうの造設をするかどうか、の意思決定をしなければならない。 それは、その先の母をどうするのか、明確な意思表示も必要になる。病院か、特養ホームなどの施設か、あるいは在宅か、、判断しなければならない。。
Img_9357 小川沿いの桜並木が葉桜に変わって、ツツジが咲くと、、他の花々も咲き始める。
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キショウブのほか、名前を知らない花
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も多い、、。

2017年4月15日 (土曜日)

ぼくの写真日記 #1079、、母の転院、、

母の転院先が決まった。入院中の救急病院から車で30分ほどのところにある療養型病院だ。転院は来週の火曜日18日。午前10時前に必着だということで、前日の昼から夕方までゴタゴタしそうだ。救急搬送されてちょうど一ヶ月になる。ここの担当医師、看護師さんたちにすっかり世話になった、転院となると不安だらけだ。170415181野川沿いの桜並木、、ソメイヨシノの他に遅咲きの桜も植えられている。満開に咲いた白い桜があります。 品種は、、不明です、、。

2017年4月 9日 (日曜日)

ぼくの写真日記 #1078、、母の入院、その後、2、

母は、自分で食事をとることができない。 そのため、今は、鼻から胃へ管を通し、栄養剤を流し込んでいる。 流し込むというと、誤解されそうだが実際は、点滴と同じように、ポタリポタリと一秒に一滴の要領で、2時間ほどかけて胃に送る。 この早さが微妙で、下痢の要因にもなるのだそうだ。 与える前には、管が胃に届いているか確認が必要だし、終わったら、管にゆるま湯を通して、汚れのないようにしなければならない。 この管は装着が簡単にできることではないので、一日中、鼻から通したまま固定しておくことになる。この時、患者が勝手に外してしまうことがあり、自宅介護では不向きなのだと言われた。 これに代わる方法が「胃ろう」だ。 腹から直接胃に管を通し、そこから栄養剤を送る。この方法の利点は、使用中以外は、管を服の中にしまっておけることだそうだ。ただそのための手術と定期的なメンテナンスが必要になる。 医師からは、この方法を勧められている。 つまり、気管への誤飲による肺炎を防ぐためにも、母は、今後ずっとこれが外せないということだ。 そして、自力で歩くことも不可能だ。 自宅であれ、移動するには車椅子が必要になる。 椅子に座るという行為は、ベットに横たわっているより、筋力を使う。 日に何回かは、テーブルの前で椅子に座ることもリハビリになるそうだ。 これまでのように、食事をし、童話を読み、計算問題を解いて答えを書いたり、折り紙をしたり、僕の顔をスケッチすることは、もう、できないが、、それでも、何回か、何分か、座っているだけでも有効なリハビリになるらしい。 自宅で介護し療養できる体制を整えるための入院。それが今後二ヶ月ほどの、療養型病院での入院ということらしい。
170408852 小川の両岸なある桜並木。昨日は上流の桜。今日は下流の桜並木をアップします。

2017年4月 7日 (金曜日)

ぼくの写真日記 #1077、、母の入院、その後、、

先月、3月19日に、母が脳梗塞で救急搬送されて、20日経った。 初期の治療が功を奏していると担当医師の説明を受けている。 容態が安定していることから、早期に転院するように求められている。 母の転院、、容態が安定すると、入院から二週間から1ヶ月以内に、リハビリ型病院か療養型の病院を手配して転院するのが通常だそうだ。 母もその時期に来ている。 相談員(ソーシャルワーカー)との面談の結果、自宅に戻り生活することを目標にリハビリ型病院を手配してほしいと要望した。担当相談員は、母の容態を考慮しつつ、最適と思われる病院に打診してくれた。数日後返事が届き、残念ながら、受け入れを断られてしまった。 理由は、90歳を過ぎた高齢で、リハビリへの意欲と効果が期待薄だということらしい。 その病院以上に頼りになるリハビリ型病院がない、と言うことなので、対象を療養型病院にするしかないと、方針を変更。 療養型病院でも自宅に戻ることを目標に加療してくれるが、 リハビリを基本にした病院とは基本が異なるそうだ。 現状を維持しつつ、自宅で生活できる状況・体制を整えるための入院だということだ。 僕が希望していたリハビリ、、「自分で食事をとる」「室内だけでも自分で歩く」は望めなくなった。
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家の前を流れる小川の両岸に咲く、桜並木、今日の暖かさもあって、満開だ。 これからしばらく、花見を楽しめる。

2017年3月28日 (火曜日)

ぼくの写真日記 #1076、、母の入院にともなって、、

毎週日曜日の午前中に、
歩いて5分とかからないスーパーへ、
一週間分の食材の買い出しに行く。
先週19日も、3往復して買ってきた食材の整理をして、
冷蔵庫に納め、ふと息抜きをしている間に、
母のアクシデントが起きた。
救急搬送され、入院。
一昨日の日曜日には、スーパーへは行かなかった。
母と暮らすようになって、十数年、初めてのことだ。
なぜ、って、食材が減らないのだ。
母の分の食材がそっくり残っている。 
買い出しは、二週間に一度ですむ?!! 
いや、やはり毎週日曜日にしよう。 
買う量を減らせばいい。
朝、病院から連絡が来た。病室を3Fから5Fへ移るそうだ。 
これまでは、脳卒中の集中治療室に隣接した病室だったが、
脳神経科の病室に変わるという。
単なる病室の移動なら良いのだが、看護師さんの話す様子では、
緊急性のある口調ではなかった。
今日も、午後に行く。その時に聞いてみよう。。

ご近所でも、小川沿いでも、いろいろな花が咲いている、、
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母の入院で、すっかり忘れていた。 3/28・僕の誕生日だ。 LINEに、娘たちから祝いのメッセージが届いている、、。

2017年3月25日 (土曜日)

ぼくの写真日記 #1075、、母のこと

わぁ、、三ヶ月ぶりの更新、、いや四ヶ月ぶりになろうとするとこです。。
良い内容ではないのですが、今年一番の出来事だと思うので、記しておきます。
一週間前、19日日曜の昼ごろ、母が倒れた。と言っても、テーブルの前、椅子に座りいつものように童話を読んでいた時、 僕は席を立ってほんの数分後、戻ってみると、崩れるように椅子から滑り落ちようとしている。 目は虚ろ、話しかけるが、言葉にならないうめき声、、。119番、とっさに思ったが、その前に、救急相談センター・042-521-2323へ、、状況を説明してどうすべきかたずねた。<すぐに救急車を> <救急車を要請していいですね> <すぐに、、>改めて119番、状況と住所を告げる。<すぐに救急車を向かわせます>の言葉のあと、一分と経たないうちに、電話がなる。 <そちらに向かっている救急車です。状況は?> 説明しているうちにサイレンが近づいてくる。 玄関に救急隊員が6名、、一人が僕に話しかけ記録を取っている間に、ほかの隊員が、母の血圧、脈拍、、あるいは瞳孔のチェックなど、、他の一人が携帯でどこかと状況のやり取りをしている。 そして< すぐに病院に運びますので、、保険証、いつも飲んでいる薬など、を持って、支度してください>  母を搬送具で包むと四人がかりで救急車へ。僕も乗り込む。車内には3人の救急隊員。 他の3人の姿がない。 あのう、おそるおそる、尋ねると、人手が足りなさそうなので、消防署員に応援を頼みました。との返事。 すでに戻ったらしいが、消防車ですぐ近くまで来たのだそうだ。 この救急車は、家から徒歩10分ほどの消防署から来たとのこと、、早いはずだ。。 走り出してすぐに、、<武蔵野赤十字病院が受け入れてくれますので向かいます>とのこと。Photo  何分かかったのだろう、、すぐに着いたように思えた。 看護師さんが迎えてくれて、運ばれて行った。 僕は、救急搬送受付で手続きをする。 その前の控え室で待つように指示を受ける。 担当医と看護師さんから、何度も質問を受けた。 最後に担当医から治療内容と治療の方針を聞き、看護師さんからは入院について説明を受けた。 母は脳梗塞。初期手当が効果的だったので良い結果が期待できそうで、最善を尽くしてくれるということ、 ただ、高齢であり、リハビリへの意欲を持てるかどうかが、鍵になりそうだ、ということを告げられた。 夕方6時過ぎ母の様子を見にゆく。 母は脳卒中センターに収容されていた。 容態が安定したら一般病棟へ移るそうだ。 あれから、一週間、一日置きくらいに様子を見に行こうかと思っていたが、、結局、毎日病院に行っている。 先日一般病棟に移った。 今後はリハビリ病院を探して転院することになるようだ。 弟の時と同じだ。。

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