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2014年3月 2日 (日曜日)

ぼくの写真日記 #852、、  <3月2日>という日

小雨が降りつづく朝です。 途切れたら、とタイミングを探っていたけれど、クー♠の催促に押し切られてトイレ散歩に、、。 門を出て家の角を曲がった途端、石段をめがけて一目散、、ノーリードのクー♠が突っ走ります。 僕とアン♡が石段の上に着いた時には、一足先に用を足しながら、ホッとした表情で、こちらを見上げるクー♠でした。  今日も一日、はっきりしない天気がつつきそうです。
140302013

今日<3月2日>は、一般的ではないかもしれないが、「中国残留日本人孤児の日」と呼ばれる。 1981(昭和56)年の今日、中国残留日本人孤児47名が、肉親探しの為に、厚生省の招待で初めて公式に来日したことによる。 このうち29名の身元が判明した。 '72年の日中国交正常化以降、約2550人が永住帰国したと報道されている。 
かつて、父が一度だけ話してくれた事があった、、 
太平洋戦争当時、父は中国で、ある工場の責任者をしていたという。 昭和19年、母と結婚するため一時帰国し、挙式後、母を伴って再び中国に渡った。 そして、一年後に僕が生まれる。
父は従業員の地元住民から慕われていたらしいく、母を伴って戻ると、日本は負けるから出来るだけ早く国に帰るようにと何度も説得されたという。 当時の父には信じられなかったらしいが、抗日の情報が彼らには頻繁に入っていたのではないだろうか、、。 結局、現地で終戦を迎え、日本人収容施設が作られた上海まで、従業員の助けもあって、なんとか辿り着き、何ヶ月か待って、引き揚げ船に乗る事が出来たと言う。 ただ、その間、何度も悲惨な光景を目の当たりにしたそうだ。 そして、赤児は置いて行くようにと説得されたと言う。 父は、その度に、「死ぬも生きるも家族一緒。三人で日本に帰る」と言い通した。 色々な理由で子供を手放さざるを得ない人もいたのだろう、その気持ちも良く判ると父は言った。 が、父と母のおかげで、僕は残留孤児にならずにすんだ。  今でも、折に触れ、娘達にこう言われる、、「オバアちゃんを大切にしてあげてね。 パパが日本に帰って来れたのはオバアちゃんのおかげよ。 アタシ達が居られるのも、そのおかげ、なんだから、、。」と。 わかってます。。 でもね、、腹が立つ事も、多いんだぞ、、今は。。 

 

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