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2018年10月20日 (土曜日)

独り言、、10月16日と17日、、母、そして僕のこと。

17日、昼を過ぎた頃、次女から連絡が来た。
「パパ、久しぶりに、夕飯、一緒しない!!」 食事の誘いだった。
カレーならあるよ。と答えると、「パパのカレーもいいけど、外で食べようよ。」
「途中から連絡するから、、」と、駅で5時に待ち合わせる事ななった。
約束の時刻の30分弱前、家を出る。駅まで徒歩15分程、、改札口で待つ。

娘と外食、、なんだかんだと話が弾んで、すぐに2~3時間は過ぎてしまう。
そのため、なかなか時間が取れず、前回は昨年の暮れ、母がペグの交換とレスパイトで入院時にチャンスがあった。 二人の孫嬢を加え四人での食事だった。 今回は次女と二人。僕に気を使ってくれての事のようだ。

改札口の横で待っていると、「もうすぐ着くよ」と次女から。改札口に居るから、と返事、、すると「どっちの改札口?」と聞き返してくる。 おお、そうか、改札口は沢山あるから、見逃さないように、と冗談を返した。 ここは高架線になって、駅舎も一新され、大きな中央改札口が一箇所になったが、それ以前はホームを隔てて北と南それぞれに改札口があった。 次女はその事を言ったらしい。ただもう15年も前のことだが、、。
改札口から見える階段とエスカレーター、、人の波が降りてくる、、おっ、次女も気づいたらしい、大きな笑顔で、こちらに手を振っている。 駅舎だけでなく、駅前の変貌ぶりに驚く娘と一緒に駅を出る。 さて、食事はどこで、、と言うか、、周辺の繁華街に、飲み屋・食事処は沢山あるのだが、、僕はこの辺りで外食した事がないのだ。 とりあえず、駅前の複合ビルの二階、とんかつの店に決めた。 夕方5時を過ぎたばかり、夕食時には早く、店内は空いていた。奥に案内された。落ち着いて長居できそうな席だ。注文を済ませると、早速、「で、どうだったの?」と娘が口火を切った。

僕は、前日16日夕方6時過ぎからの母を話し始めた、、。

栄養剤を温め、ペグにつなぐ。 ベットの背を40度少しに傾斜させ、ベットの高さを調節してから、ストッパーを緩めて、45分程かけて栄養剤を落とした後に、薬と20cc程の水分を与える。 母の静かな食事風景、と言ったところだ。 その後、ゴボゴボとタンが絡んだのだろう、喉が苦しそうだったので、10分程かけて、様子を見ながら、タンを吸引した。 落ち着いて目を閉じている母の様子に、、安心してベットから離れ、自分の机に、、。 この時、7時頃 ここから、10時過ぎ、介護スタッフが来てくれるまでの間、多いときには、1時間おき位の割合で、タンの吸引をするのだが、、この日は、8時過ぎても穏やかだった。 様子を見に行くと、、口を半開きにして、、いつもならタンで、喉をゴボゴボ言わせるのに、、静かだ、、が、それが、、変だ。 表情が無い、、。 口元に顔を近づけてみる、、息を感じない、、。 胸に手を入れる、、 鼓動を感じない、、。 やはり変だ!!! 診療所の緊急電話に連絡。。 担当看護師さんが出てくれた。 状況を説明する。 宿直の医師が駆けつける手配をしてくれた。 次に、ケアマネに連絡、、現状を伝えると、訪問看護師さんに連絡し、すぐ来るとの事。 8:20 ケアマネ到着。 続いて訪問看護師さん、心臓マッサージを試みる。 診療所の医師到着。。 診察の後、、僕に尋ねた、、「今出来る事は、救急車を呼んで救急病院に搬送することがひとつ。 そこで上手く取り止める事ができたら、現状では、救命装置に繋がれて維持されることになるだろう。 あるいは、救命できないと、警察に移管されて、死因解明のための処置がされる。 もうひとつは、このまま、自宅で看取るか。 どちらに決めるのは、家族の息子さんです」と。 しばらく考えた後、「このまま、看取る」と結論した。 医師の先生は、胸に聴診器を当てて、しきりに心臓の様子を確認しているようだった。そして瞳孔を確認すると、腕時計を観て「午後9時35分、です」と一言。  母が、92歳の生涯、幕を下ろした。 
医師、「戻って書類を、、」「明日、朝9時にはいただきに、、」と僕。 看護師さんの指示でお湯を沸かす。ケアマネと二人で、母の体をキレイに整えてくれた。 僕は、新しいパジャマと浴衣を用意した。 パジャマを着替え、浴衣を掛けられ、、母は穏やかに深く眠っていた。。 僕は病院の献体の会に連絡した。折り返し担当医師から連絡が来て、そこで、母の引き取りの日取りが決まった。 その旨を、ケアマネと看護師さんに伝え、介護スタッフへの、明日以降の手配をお願いした。 二人が帰った後、次女と三女に連絡した。 一時間程して、三女が夫君とお別れに来てくれた。 次女は、子供の用などで、献体の引き渡しまでに間に合わないと言う。
翌朝、17日、あれして、これして、これ、済ませて、って、頭の中で整理して、9時に診療所へ向かう。主治医を務めてくださった医師に挨拶をし、看護師さん達にお礼を言って、事務窓口で<死亡診断書>を受け取って帰った。 途中で、コンビニに寄り、4部コピーをとる。
帰宅して、母のベットの枕元を整理して、線香を立て、陰膳を、、。 
献体先の病院からの迎えの車を待つ。。 約束の時刻5分前に、車、到着。。 無駄のない作業・・プロだ。。 定刻の3分過ぎには出立。。左折して車影が消えるまで見送る。
「母の献体」・・僕がすべき一つの事・・終わった。
気を取り直して、市役所へ。。 戸籍係りで、書類提出、、30分待つ。。
届け出後の諸手続きのレクチャーを受ける。 いろいろ各部署で手続きが残ってる。。
市役所での行政書士の法務相談日、、飛び込みで受ける・・・
帰宅、、すごく疲れた、、4時まで、ごろ寝。
5時の待ち合わせに合わせて、家を出る。

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